神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」 (創世記3:9)
野の獣のうちで一番狡猾であるという蛇がエバをそそのかしていく。蛇は「園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(3:1)と、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない」(2:17)という神の警告ことばを少し曲げながら、エバに語りかける。エバもまた「それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけない」(3:2)と言われた、と神のことばを変えて答えてしまう。蛇が「あなたがたは決して死にません」「あなたがたの目が開け」(5)とたたみかけると、エバはついにその実をとって食べ、夫アダムにも与えてしまう。神の言葉を曲げるということは、神を信用しない、神を頼らないということ。こうして人間は神に背き、恥の意識が生じ、隠す・隠れるという行為が始まった。しかしなおも神は、人に「あなたは、どこにいるのか。」(9)と呼びかける。 アダムは「あなたが私のそばに置かれたこの女が」(12)と、エバは「蛇が私を惑わした」(13)と責任転嫁をし、言い訳をする。しかし人を愛し助けようとされる神の前に、自分を隠すのでなく、現状をありのままに見せていくとき、そこに神のみわざが現れていく。人が呼びかけに応えるのを、神は待っておられる。